世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」

【追記】なんだか話が見えていない人が多いようなので、本論の意図について前もって解説。
南京大虐殺まぼろし説のように都合のいい話を集め、一部の事実と歴史的背景を無視すれば、ヒロシマまぼろしにすることだって可能なんだ、という見本です。これで広島原爆がなかったことにできる、と筆者が思っているわけではありません。
本論を読んで「何を荒唐無稽な」とか「何と不謹慎な」と思われた方は、南京まぼろし説も同様に「荒唐無稽」で「不謹慎」であることに思いを馳せていただけたら、幸いです。【筆者より】


※まえおき:直接こちらに来られた方は、まずヒロシマに原爆は落ちたのか――歴史修正主義の行き着く先をお読みになってください。なお、「世界はヒロシマを覚えているか」という連載の共通タイトルは、再掲するに当たって付けたものです。


記事番号:4582 (1998年07月30日 11時51分07秒)
世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」


30万もの人が殺された南京大虐殺が実は虚構だった、という投稿を読んでいたら、では広島への原爆投下も幻だったのではないか、という気がして、心配になってきました。なぜなら、日出ずる国の若者さんの挙げる根拠が、ヒロシマについても当てはまってしまうからです。


第一の根拠「犠牲者の数の不思議」


広島原爆の犠牲者は20万人と言われています。いくら原爆とはいえ、たった一発の爆弾で、そんなにたくさんの人が殺せるのでしょうか。「75年間は草木も生えない」と言われていたはずなのに、今の広島にはビルが立ち並び、人口も大きく増えて、戦前よりずっと発展しています。


実際なかったから、ことさら大きな数字を挙げなければならなかったのでしょうか。アジア各地で何百万もの人を殺したのですから、日本は必死です。なんとかしてアメリカも同じような虐殺をしたように思わせる必要があったのではないでしょうか。


第二の根拠「証拠のあやふやさ」


広島の被害を伝える写真はたくさんありますが、写真ほどあてにならないものはありません。なにしろ南京の30万人の死者だってでっち上げられたというのですから。別の場所にあった死体を写して、適当なキャプションをつければ、国民がヒロシマは本当にあったことと受け取ってしまうのも無理はありません。


証言もたくさんありますが、偽証罪の適用されない状況での証言がどれだけ信用できるのか、もっと検証が必要です。


第三の根拠「日本政府の弱腰と被爆者無視」


アメリカが本当に虐殺を行ったとすれば、日本政府が黙っているはずはありません。東京裁判講和条約の交渉の席でアメリカの酷さを主張して国際世論に訴えれば、戦後の情勢も日本に有利に展開したはずです。


ところが日本政府は「一億総懴悔」を唱えるばかりで、アメリカに対して被害の補償どころか、正式に抗議したり、謝罪を求めたことすらありません。それどころか、被爆者援護法に象徴されるように、政府は被爆者不在の態度をとり続けていますし、同じ被害を受けたはずの朝鮮人など外国人被爆者にはもっと冷淡です。


これも、実はヒロシマがウソだからだと考えれば、納得がいきます。


1959年、キューバ革命勝利の年に来日したゲバラは、無名兵士の墓に詣でる予定をキャンセルしました。「日本の無名兵士とはアジアで数百万人を殺した兵士のことではないか。そんなところへ行くわけにはいかない」。そしてゲバラは、予定になかった広島へ向かいました。原爆資料館を1時間かけて見学したゲバラは、案内役の人にこう言ったそうです。「アメリカにこんな目に合わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」。


ゲバラもあきれた日本政府の弱腰は何なのでしょう。やはり日本による真の虐殺の帳尻あわせにすぎないのでしょうか。


第四の根拠「国内報道もなく、国際社会も冷淡」


民間人の大量虐殺が行われたのなら、これぞ鬼畜米英のしわざ、聖戦の大義は我にあり、とばかりに、大きく新聞に取り上げられてしかるべきです。ところが当時の日本の新聞は「広島に新型爆弾」と小さく書いただけで、その具体的な被害状況などはまったく伝えていません。実に不可解です。


人類を滅ぼすようなそんな恐ろしい爆弾なら、国際世論の声で当然に禁止されるはずなのに、大戦後も「平和のためだ」といって各国がこぞって開発・保有しています。「日本人の核アレルギー」などともっともらしいことを言いますが、民間の原水爆禁止運動が盛んになったのは、1954年のビキニでの水爆実験以降ですし、アメリカの核が日本に持ち込まれたり、独自の核を持つべきだという日本人すらいます。そもそも核が平和に役立つなら、ヒロシマで人が死ぬわけがありません。


まだまだ疑えばきりがありません。


蛮行は日本軍のお家芸ともいえます。日本軍の同胞に対する虐殺だったのかも知れません。ルソンやニューギニアで戦友の人肉を食った話や、沖縄戦で住民をスパイと疑って虐殺した事例を見てもそれが分かります。それと同様な行為が、アメリカに責任転嫁されたことも考えられます。


愚民政策の下、資料批判の能力さえ摘み取られている可哀想な子どもの使う教科書に、当然のようにヒロシマ原爆のことが載っているのは、特定の思想による偏向なのではないでしょうか。


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でも、やはりヒロシマは本当にありました。そして南京も。


理屈と膏薬はどこにでも貼り付く、といいます。


大戦直後、ブラジルの日系人の多くが、日本はアメリカに勝ったと信じていたことがありました。ヨーロッパでは、アウシュビッツはなかったと主張する人々もいます。


都合のいい話を集め、一部の事実と歴史的背景を無視すれば、ヒロシマをなかったことにすることだって可能です。近い将来、ヒロシマを自分の目で見た人たちはいなくなるのです。


大江健三郎金芝河との対談で、「世界はヒロシマを覚えているか」と問い掛けました。すると金芝河は即座に、「では日本は南京を覚えているか」と反問し、大江はそれにまともに答えることができませんでした。


私は冗談を言っているのではありません。


南京が幻になったとき、ヒロシマも幻になるでしょう。そして第二の南京、第二のヒロシマが生み出されることでしょう。いや、すでに朝鮮で、ベトナムで、イラクで、ユーゴスラビアで、第二、第三の南京、ヒロシマが、続々と生まれています。次はどこでしょうか。どうしたら止められるのでしょうか。