朝鮮民主主義人民共和国の歴史的正統性に関する若干の事実確認。

記事番号:5368 (1998年12月09日 08時41分24秒)


朝鮮民主主義人民共和国の歴史的正統性に関する若干の事実確認。
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5368.html


IGAさん。


IGAさんの投稿には歴史事実のレベルで多くの誤りが見られます。しかもそれらが、最近の日本で広く流布されている悪質なデマゴギーとある種の共通性を持ち、朝鮮民主主義人民共和国の建国が朝鮮人の主体性と無関係のものであると位置づけ、日本の責任を覆い隠すものになってしまっています。
 
したがって、ちょっと細かい話が多くなりますが、基本的なことですので、一つひとつ確認しておくことにしました。そのため、投稿まで少々間があきました。ご了承下さい。


アメリカが介入しなかった北朝鮮」と米津さんは書いていますが、そこ(北緯38度より北)にはソ連が介入した事をご存知ではないのですか?

アメリカとソ連の朝鮮占領を一律に「介入」と考えるのは誤りです。ソ連の朝鮮進駐は、日本帝国主義との戦争の一環であったことを見落としてはなりません。ソ連ヤルタ会談でのアメリカとの約束を守って日本に戦宣布告し、朝鮮を植民地支配していた日本と戦闘するために朝鮮に入ってきたのです。


一方のアメリカは、戦後の米ソ対決をにらんで、朝鮮にソ連牽制の足掛かりを作るために、ソ連が朝鮮に進駐すると、あわててソ連に対して朝鮮の分割占領を提案しました。スターリンがなぜかその提案を簡単に呑んだので、アメリカは一発の弾丸も使わずに、南朝鮮を占領することができました。ですからアメリカの南朝鮮占領は、日本のファシズム体制打倒という太平洋戦争の名分とは、まったく関係のないものでした。


米ソの占領政策の違いも見過ごすことはできません。ソ連軍は朝鮮人を解放民族と規定し、日本人官吏を追放し、朝鮮人が自発的に組織した人民委員会に行政をまかせました。一方アメリカは、人民委員会を弾圧し、一切の政治的権限を与えず、むしろ「敵」であったはずの朝鮮総督府統治機構を復活させて、軍政をしきました。


同じ「占領」といっても、その内実を見ていけば、アメリカとソ連の朝鮮占領がまったく性格の違うものであることがご理解いただけると思います。


では、なぜスターリンが簡単に朝鮮分割提案を飲んだのでしょうか。それを理解するためには、ソ連の極東政策が東欧でそれとはかなり違ったものであったことを押さえておく必要があります。


ソ連は極東をさほど重要視しておらず、東アジア各国を強引に共産化しようとはしていませんでした。その事実は、ヤルタ会談スターリン蒋介石政権の承認すら約束していたことからも明らかになっています。


東欧重視=極東軽視というソ連の政策が、中国と朝鮮の社会主義政権が東欧と比べて自主独立的な性格を持つことのできた大きな原因であり、それゆえに両国政権は東欧各国の社会主義政権と比べて、強固な民族的正統性を確保することができました。
ソ連崩壊で東欧の社会主義政権がすべて崩壊してしまったのに、東アジアの社会主義政権が大方の予測に反して崩壊しないのはなぜか----それは中朝両国政権がソ連の傀儡ではなかったからである、というのが最も分かりやすく、史実に即した説明でしょう。



アメリカとソ連が日本の旧植民地であった朝鮮半島に38度線をはさんで進駐するまでの僅かな期間、南労党(南朝鮮労働党)を中心とした「朝鮮人民共和国」が作られた、という事は事実です。
それが米進駐軍による共産主義への弾圧により、消滅した事も事実です。ただ、植民地からの独立運動では民族主義共産主義が結びつく例は多く見られたとはいえ、民族主義的な側面だけを「朝鮮人民共和国」が持っていたわけではないでしょう。共産主義革命の一環だった事は否定できません。

中国革命と朝鮮革命の人的・思想的連続性は、しばしば歴史学者からも指摘されていることは確かですが、「共産主義革命の一環」だとしたら、何か悪いことでも?


ただ、朝鮮人民共和国が南労党=朝鮮共産党を中心としていたというIGAさんの認識は誤りです。人民共和国は民族主義者から共産主義者まで含む統一戦線組織でした。主席は李承晩、副主席は呂運亨、内務部長は金九です。


また、人民共和国の基礎となった人民委員会は、必ずしも共産主義者によって指導・組織されたわけではなく、地域によってその性格にかなりのばらつきが認められます。日帝期に土地を奪われて貧困化した農民や炭鉱労働者などが中心となって、日本人や親日派の地方官吏を追放し、自然発生的に作られた場合も多かったようです。もちろん国内で頑張ってきた共産主義者たちが、朝鮮民衆の信頼を勝ち得ていたことも事実です。


その後、朝鮮半島に米ソが進駐した後は、双方が自己に都合のいい政権を打ち立てようとします。その結果、南にアメリカの後押しを受けた李承晩が政権を打ち立て、同様に北でもソ連軍の後押しを受けた金日成が政権を握りました。双方共に「傀儡政権」である事はもちろんです。

日帝時代、李承晩はアメリカに亡命しており、直接的な行動は何一つしていませんでした。国内に支持基盤がない上に、アメリカの反共政策に乗っかって、共産主義者やそれと協力しようとする民族主義者を弾圧したため、李承晩は結局、寄生地主や元総督府朝鮮人官吏など、日帝の手先として朝鮮人を抑圧してきた親日派と手を結ばざるをえなくなり、ますます民衆の支持を失うことになりました。


金日成は、自ら日本帝国主義と武器を持って戦い、朝鮮国内にも攻め込んで戦闘を行った実績もあり、その名は朝鮮人の間に広く知られ、共産主義者だけでなく民族主義者たちの間からも信頼を勝ち得ていました。金日成中国共産党に入党していましたが、むしろその思想と行動は、朝鮮第一主義の民族主義的なものでした。


ところで、ソ連は朝鮮占領の準備をほとんどしておらず、朝鮮解放の直前まで金日成のことを知りませんでした。金日成北朝鮮のリーダーとなった経緯については、彼が最も実力のある朝鮮人パルチザン組織を率いており、人望にも厚かったからのようです。
当時の朝鮮では南でも北でも、占領軍の後押しがなければ政治指導者として活動できなかったのは当然ですが、だからといって金日成ソ連の思うままに操縦されていたと考えるのは短絡です。


金日成を過大評価する必要はもちろんありませんし、彼以外にも解放朝鮮の政治的リーダーたる資格を持つ人物は何人かいたと思います。しかし、彼の闘争履歴や政治的立場が、日本ではあまりに歪められて伝えられていることは問題です。


ところで朝鮮民主主義人民共和国は、人民委員会を基礎として建国されました。人民委員会がソ連金日成の指示や命令とは関わりなく、朝鮮人の自発的意思によって作られたことは、再確認しておく必要があります。ソ連金日成の影響の及ばなかった南朝鮮でも、同じように各地に人民委員会が作られていったことからも、それが分かります。


植民地朝鮮では民族資本の育つ余地は極めて狭く、その階級構成の圧倒的多数を小作農と労働者が占めていました。人民委員会は農民と労働者が中心になって組織していましたから、人民委員会を正当な自治組織として認める限り、朝鮮人の国造りが農民・労働者の要求を中心に据えたものとなることは南でも北でも必然であって、人民共和国の綱領が、土地改革や工場の国有化、8時間労働制など、社会主義的・共産主義的性格を帯びるのは、ごく自然のなりゆきでした。さらに、日本帝国主義と最もよく戦ったのは社会主義者共産主義者たちであり、彼らが人民から信頼を得たのも当然のことでした。


結局、アメリカが敵に回し、弾圧したのは、共産主義者だけではなく、朝鮮人の大多数を占めていた農民と労働者だったわけです。つまり、南朝鮮ではアメリカに都合のいい政権を打ち立てるために莫大なエネルギーを必要としましたが、北朝鮮ではソ連は腕組みして見ているだけで社会主義の政権がすんなりとできあがることになりました。


このあたりの事情をアメリカの歴史学者ブルース・カミングスは、『朝鮮戦争の起源』第1巻(鄭敬謨・林哲共訳、シアレヒム社発行、影書房発売)で次のように述べています。(余談ですが、この本は、朝鮮現代史を学ぶ者なら、その見解を問わず、無視することのできない基本図書です。IGAさんが朝鮮の歴史に興味がおありなら、ぜひ一読されることをお勧めします。)


 

1945年アメリカ人が南朝鮮にやって来たとき、一方において発見したのは、地方における基盤や大衆の支持を持たないまま、崩れかかった既得権にしがみつきつつ、それでも口では曖昧な言葉で民主主義を云々する何人かの個人と少数の派閥であった。他方において彼らが見つけたのは、朝鮮人の民族的主権をかざし、その正統性の裏付けとして、地方に対する広範な政治的浸透力を誇示している革命組織であった。この革命勢力は抗日闘争の歴史に根ざした精神的権威(カリスマ)をもって支配の正統性を主張しているのに反し、これに対抗する保守勢力は、支配の正統性を伝統の中に求めようとしていた。自分たちは以前支配者であったのだから、今後もその支配権を行使したい----もしもアメリカ人が自分たちを使ってくれるならば。

 ――ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』第1巻より


したがって、済州島4・3蜂起に象徴されるように、米軍やその息のかかった極右勢力の暴力によって何万人もの朝鮮人が虐殺されたあげくに強引に建国された大韓民国と、南からの代表も加えて、軍事的衝突もなく建国された朝鮮民主主義人民共和国とを、『双方共に「傀儡政権」である事はもちろん』と決めつけるのは、いくつかの基本的な事実を無視しない限り成り立たない、没歴史的な見解だといえましょう。

李承晩とアメリカは、自分達にとって都合が悪い存在である金九を殺害するなど、民族派を弾圧しました。そして、北へ逃れた、これまで朝鮮独立の為に地道に活動してきた人々には、ソ連金日成による仮借ない弾圧が行われたのです。たとえば政権の「正当性」を演出するために登用された、曹晩植をはじめとする民族派の人々は後に職を追われて粛清されましたし、金日成との権力争いに敗れた朴憲永をはじめとする南労党出身者も殆どが粛清されました。

いわば、南ではアメリカと李承晩が、そして北ではソ連金日成が、それぞれ傀儡として、朝鮮人から独立と民主主義と民族自決の権利を奪ったのだ、といえます。

金九の暗殺とチョ晩植(チョは曹から縦棒を一本とった文字。朝鮮漢字)の失脚を同列にならべることも、適当とは言えません。チョ晩植が失脚したのは、金日成崔庸健の説得にも関わらず、朝鮮の信託統治案に強行に反対したためです(ところでチョ晩植は失脚してすぐに殺されたわけではありません。殺された経緯ははっきりしませんが、5年ほど後の朝鮮戦争時期だったようです)。


信託統治案とは、もともとアメリカが提案し、45年12月のモスクワ三国外相会議(米・英・ソ)で決定された朝鮮独立のための道筋を示した提案でした。最長5年の信託統治期間に、米・ソなど連合国が後見国となって単一の臨時政府を作り、統一国家として独立させるというものです。当時の情勢にてらして、この案に従い米ソ共同の後見を受け入れることだけが、統一政府樹立への唯一の道でした。


ところが東亜日報が案の内容を「アメリカが即時独立を唱えているのに、ソ連がそれに反対して朝鮮の再植民地化をめざしている」かのように歪曲して報道、劣勢であった右翼勢力がそれに乗じて「信託統治反対=反ソ」運動を激しく展開しました。朝鮮の社会主義勢力を押さえ込みたかった米軍政庁はこの動きを利用して右翼勢力を結集、自分たちが最初に提案した信託統治案をぶちこわして、事態は南朝鮮単独選挙・南北分断永続化へと向かっていきました。


金九も当初は李承晩らとともに信託統治反対の立場に立ちましたが、南の単独政府樹立に反対して李承晩と袂を分かち、38度線を越えピョンヤンに向かい、南北連席会議に参加しました。


つまり一言でいえば、チョ晩植は統一に反対の立場にたったがゆえに失脚し、金九はアメリカの分断政策に背いて、あくまで統一を訴えたがゆえに殺されたわけです。


朴憲永と南労党幹部10人が死刑となった理由については、朝鮮戦争の際に南朝鮮共産党勢力を過大に見積もったために戦略を誤り、南の組織を瓦解させた責任を取らされた、という説もあり、彼らが政府転覆のクーデターを企てたという説もあります。戦争犯罪人やクーデターの首謀者が捕らえられ、死刑になることは、特に北朝鮮社会主義国に限った話ではないと思いますし、金日成が傀儡であるという根拠になるとも思いませんが(念押ししますが、私は南労党系の死刑が正しかったと主張しているわけではありません)。


朴憲永は確かに優秀な革命家であり、彼のような人材が十分に活躍できなかったことは、朝鮮にとって大きな損失だったと私は思います。しかし、はなから朝鮮がアメリカの横車なしにすんなり統一国家として独立していれば、もっと多様な政治家が活躍する余地が生まれ、ユニークで民主的な国家が朝鮮に誕生していたのではないか、と想像します。



ちなみに北では農場の共同化により、結局農民は自分の土地を奪われ、「国家の小作人」とされました。なおスターリン体制下のソ連ではじまった「農業の集団化」は、その主目的が農業からの収奪による工業化の為の資本蓄積にあった事は知られています。

もともと日本が土地調査事業によって朝鮮の農民から土地を取り上げてしまっていたという歴史的事実を、IGAさんはご存じありませんか。解放時に土地を所有していたのは、日本人地主、日本の国策会社である東洋拓殖株式会社、親日派の地主が大半でした。朝鮮の農民の多くは、そのほとんどが小作人に転落しており、改めて奪われる土地などなかったのです。


北朝鮮臨時人民委員会は46年、日本人、日本国家、親日派地主らの所有地を無償没収し、全農家の70%にあたる貧農に無償で分配しました。地主でも自耕農になる場合は土地の分配を受けられました。


この情報が南朝鮮に伝わると、南でも土地改革を要求する農民の闘争が高揚しましたが、李承晩が親日派の支持を権力基盤としていたため、韓国の土地改革はきわめて不徹底なものに終わり、アメリカからの余剰農産物の「援助」とあいまって、南朝鮮の農民は窮乏化しました。


土地改革をめぐる問題が朝鮮戦争の一因だったという説もあるほど、当時の朝鮮農民にとって土地の問題は重要なテーマであり、それゆえ北朝鮮の土地改革はすんなりと受け入れられました(親日地主の一部は南に逃れ、テロリズムによって統一運動を妨害しました)。


また農業の集団化が北朝鮮で始まったのは、朝鮮戦争後の53年秋からです。朝鮮戦争アメリカの爆弾が雨あられと降り(#4341参照)、多くの働き手を失った北朝鮮の農業を立て直すために、集団化以外の良い方法があったでしょうか。


ところで「工業化の為の資本蓄積」自体が、何か悪いことなのでしょうか。資本主義国でもさんざんやってきたことでしょう? もっと悪辣な手法で。明治期の日本や、植民地期の朝鮮、解放後の韓国では、資本の本源的蓄積期に、農村は厳しく収奪され、離農した農民が悪辣な条件で工場労働を強いられたことや、窮乏化した農村の娘が身売りしたことを、IGAさんはどう思われますか。


北朝鮮の工業化の過程では、少なくともそれほどひどい状況は報告されていませんけれど、IGAさんがそれだけを特別に取り上げて非難される根拠は何でしょうか。それに、肥料やトラクターを作るためにも、工業化は必須ですよ。朝鮮は永久に貧しい農業国に留まるべきだったというなら話は別ですが。ちなみに共和国は、ソ連が押し進めていた社会主義国際分業に反対して、重工業を発展させるという方針をとったため、ソ連との仲が険悪になりました。


朝鮮を分割したのは(ドイツと同様)アメリカとソ連です。そして韓国をアメリカと日本が支えたのと同様、北朝鮮を支えたのはソ連と中国です(現在でも基本的な構図は変わりません)。こうした南北双方への公平な視点を欠き、アメリカのみを分断の元凶とする米津氏の主張はあまりにも一方的だと考えます。

アメリカの撤退と同様、ソ連の残したスターリニズムと中国の残した文革の遺物、朝鮮北半部の人民抑圧の元凶たる北朝鮮政府も即刻打倒、解体されねばなりません。そして、その為の朝鮮や在日の人々の戦いを、我々日本人は支持するべきだと考えます

朝鮮分割とドイツ分割が全く事情の異なったものであり、アメリカに一義的責任があることは、すでに説明しました。また韓国と日米の関係と、共和国と中ソの関係が、相当に異なったものであることを理解しなければ、共和国の現在を正しく認識することはできません。


ソ連の占領軍が48年、朝鮮戦争に参戦した中国軍が58年に撤退して以来、40年もの間、北朝鮮に外国の軍隊はいません。共和国は60年代はじめにソ連の修正主義やアジア蔑視を批判して、アジア・アフリカ諸国とともに非同盟路線をとりました。ソ連コメコン(経済相互援助会議)に加盟するように迫ったときも、それを拒否しています。中ソ対立の時にも独立した姿勢を保ち、文革でも中国側の干渉に反対しました。したがって、共和国は中ソの傀儡とは言えません。


繰り返しますが、私はいまの共和国の体制に問題がないと思っているわけではありません。しかし、日本の朝鮮侵略清算されていない現時点で、日本人が朝鮮人と連帯することは不可能であり、日本人にできることは、日本人の課題(植民地主義清算)を解くことだけだと考えています。そこのところを飛び越えて、安易に「支持」とか「連帯」を口に出すのは、日本人が負うべき課題を覆い隠すことにしかならないと思うからです。


IGAさんも、共和国を批判したり、「朝鮮や在日の人々の戦いを、我々日本人は支持するべきだ」と言う前に、せめて歴史的事実を正しく把握しておかないと、それは単なる浮ついたスローガンにしか聞こえないということを認識されたほうがいいでしょう。


さらに、日本が共和国をさしおいて、IGAさんご自身「傀儡」と考えている韓国と日韓条約をむすび、それから30年以上に渡って共和国を無視、というより敵視してきたことや、アメリカが朝鮮の統一と民族自決権を妨害したことは、現在の共和国政府の評価がどうあれ、決して許されることではないこと、そしてそうした日米の干渉こそが朝鮮の自律的発展を妨げて来たことを、あらためて肝に銘じておく必要があります。


        ***    ***    ***    ***


ところで、IGAさんは#5251で、次のような疑問を呈されています。


しかし、当の北朝鮮政府は戦争がはじまってから現在に至るまでも尚一貫して、朝鮮戦争は南側の北進によってはじまった、と主張しております。祖国の統一の為の戦争をみずから仕掛けたにも関わらず、このような主張をする北朝鮮政府の態度は米津さんにとっても理解しがたい事なのではありませんか?


私は、別に理解しがたいこととは思っていません。
私の投稿#4341から引用します。

共和国では朝鮮戦争を「祖国解放戦争」と呼んでいます。徐大粛氏は前出の『金日成金正日』で次のように述べています。

北朝鮮金日成自身が南侵を否定するのは、彼らが始めた「朝鮮人民の正義の祖国解放戦争」が、成功しなかった点に起因すると思われる。金日成は南侵が成功裏に推し進められていた1950年9月11日に、北朝鮮のラジオ放送を通じて自分が戦争を始めたことを正当化しようとした。彼はこのとき、朝鮮人民の自由と独立のための正義の戦いを、誰が侵略者呼ばわりするのか、と述べたのであった。(72頁)


またアメリカとの直接対決を恐れていたスターリンは、金日成の南進を承認する際に、北から戦争を始めたことにはしたくなかったようです。金日成はそれゆえ、戦争の大義名分として「南からの攻撃」からの防衛であることを強調しました。


しかし、このことだけをもって共和国がとんでもない国だということはできませんし、朝鮮戦争は内戦ですから、共和国の開戦責任を問う権利は日本人にはありません。


だいたい、IGAさんが民主的であると考えている日本やアメリカでも、外交関係の文書などは、25年とか50年にわたって秘密にされているわけです。昭和天皇裕仁が深く関与したと言われる日米安保条約の成立過程などは、いまだに資料が公表されずに、よく分からないままの部分があります。


日本などは侵略戦争の証拠を焼いて、証拠隠滅まで計っていますし、いまだに隠し続けていることがたくさんあります。少なくとも共和国は、他国を侵略したことはありません。まあ、日本の国名には、「人民」も「民主主義」もないので、「国名に恥じない国になれ」と言われる心配もないわけですが。



もうひとつ。


アメリカの介入により国際紛争に転化した、というのは事実です。この事について疑義を差し挟むつもりはありません。ただ、「朝鮮戦争は南北の対立に…内戦であり」のくだりはおっしゃる意味が良く分かりません。

南にも共産主義者が強い影響力を持って活動していたことを認識されているIGAさんが、朝鮮戦争が北と南の争いではなく、朝鮮をどのような国にするのかということをめぐる内戦である、という私の見解がなぜ理解できないのか、分かりません。


前出のカミングス氏は次のように述べています。

朝鮮戦争アメリカという虎の尻尾を踏んだスターリンないし金日成の誤算によって引き起こされたという論が日本にもアメリカにも広まっている。しかし誤算と言えばそれはアメリカによるものであって、その敵によるものではなかったと私は思う。アメリカはアジアにおける革命的ナショナリズムの強さについて誤算を犯し、朝鮮でそしてベトナムで戦争を起こした。また南北いずれの側の挑発が朝鮮戦争の誘因になったかについても的外れの思い違いが横行しているように思う。私からすれば韓国の警察と軍隊が日本の手先をしていたいわば反民族的朝鮮人の手に握られていたことこそ、北に対する決定的な挑発であったように思う。韓国軍の参謀や指揮官のすべてがかつての帝国軍人であり、例えば38度線に配置されていた韓国第一師団の司令官金錫源などは、帝国軍人〔陸士第27期、陸軍大佐〕として特別に編成された金日成討伐部隊の隊長を務めた人物であった。朝鮮人としては朝鮮人同士で決着をつけるべき問題があったのであり、戦争のそもそもの始まりは日帝下の植民地時代にまで遡る。日本人が播いた種は風であったが、朝鮮人が刈り入れたのは嵐であったのだ。

アメリカの南北戦争や、中国の国共内戦ベトナム戦争などは、どちらが先に攻めたかとか、どちらが責任者か、などということはあまり問題にされません。よその国から、戦争責任を追及されたこともありません。なぜなら、まさしくそれらが内戦であり、国家の枠組みをつくる一つの政治行為だったからです。朝鮮についてだけそれを問題にし、傀儡の代理戦争であるとか、北の侵略行為であるとするのは、不公平ではありませんか。


中国の国共内戦が、人民の圧倒的な支持を得た共産党の勝利で決着がついたように、外部勢力の介入がなければ、朝鮮人も自分たちで決着をつけたことでしょう。