世界はヒロシマを覚えているか(2)「ますますあやしい? ヒロシマ

【追記】なんだか話が見えていない人が多いようなので、本論の意図について前もって解説。

南京大虐殺まぼろし説のように都合のいい話を集め、一部の事実と歴史的背景を無視すれば、ヒロシマまぼろしにすることだって可能なんだ、という見本です。これで広島原爆がなかったことにできる、と筆者が思っているわけではありません。

本論を読んで「何を荒唐無稽な」とか「何と不謹慎な」と思われた方は、南京まぼろし説も同様に「荒唐無稽」で「不謹慎」であることに思いを馳せていただけたら、幸いです。【筆者より】


※まえおき:直接こちらに来られた方は、まずヒロシマに原爆は落ちたのか――歴史修正主義の行き着く先をお読みになってください。なお、「世界はヒロシマを覚えているか」という連載の共通タイトルは、再掲するに当たって付けたものです。


記事番号:4629 (1998年08月05日 01時58分58秒)
世界はヒロシマを覚えているか(2)「ますますあやしい? ヒロシマ原爆。」

Bさん。

#4587

>第一の根拠「犠牲者の数の不思議」

当時、広島には20万人以上の人が住んでいました。
そして、一発の原爆が20万人を殺すのに十分な能力を持つことは実験記録によって明らかです。


広島の人口が20万人以上だったことは、何によって確認されるのでしょうか。広島は軍都です。本土への空襲が日常化しているなかで、多くの人がすでに疎開していたとは考えられないでしょうか。


また、人体実験をしたわけでもないのに、原爆が20万人の殺傷能力を持つということが、どのようにして明らかになったのですか。


「原爆豚パティー」の話をご存じですか。46年にアメリカがビキニで核実験をしたときに、子豚のパティーは実験用動物として被爆しました。ところが実験終了後、パティー放射能に汚染された環礁で泳いでいるのが見つかったのです。パティーはその後、メリーランド州の海軍医学研究所で大切に育てられて600ポンドの豚に成長し、動物園で生涯を終えたそうです。この話はアメリカの雑誌『コリアー』51年8月11日号に掲載されました。


子豚一頭殺せない兵器で、20万人もの人を殺せるのでしょうか。

南京に残っていた人は30万人未満だったことが外国のジャーナリストによって報道されておりますし、


あなたは外国のジャーナリストの報道なら信じるのでしょうか。では「原爆豚」の話は?


私の知識では、事件直前の南京の人口は、安全区内だけで20万人、総人口は60〜70万人です。さらに上海から攻め上る日本軍を逃れた難民25〜40万人が南京に流れ込んでいたといいます。


仮にBさんの主張が本当だとしても、それは虐殺数が30万人未満であることを意味しているだけであって、虐殺がなかったことの根拠にはなりません。

そもそも当時の日本軍に数日間のうちに30万人も殺す能力はありませんでした。


東京裁判の判決によれば、日本軍は南京を占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で20万人以上を殺害した、とされています(当時の中国側の主張は43万人)。
ここでは大虐殺の真偽を問題にしているので、その数字を検証には立ち入りませんが、東京裁判における南京大虐殺の定義は、

・南京占領後の6週間に
・南京とその周辺で

行われた虐殺となっています(実際のところ、日本軍による南京市民の殺戮は、すでに宣戦布告前の37年8月15日、海軍機による渡洋爆撃----戦時国際法違反!----から始まっているのですが)。


Bさんが南京大虐殺を、南京市内での数日間に限る理由をお教えいただければと思います。


また、日本兵が仮に5万人いたとして、一人が一日に一人ずつ殺せば、6日で30万人になります。兵力が1万人だったとしても、一人当たり5人ですみます。そして実際に南京攻略にかかわった日本軍は19万人です。


子豚も確実に殺せない欠陥爆弾で20万人を殺すより、ずっと確実性は高いと思われますが。

>第二の根拠「証拠のあやふやさ」

広島原爆の写真および証言が捏造であるという根拠は何ですか?具体的に教えてください。


写真や映像がいくらでも偽造可能なことはご存じでしょう。旧ソ連で、粛正された人物が写真からきれいに削除されていたことは、よく知られています。アメリカには、アポロの月着陸がアリゾナ砂漠で撮影された捏造だと主張する人もいます。


日本映画の特撮技術も、戦前にはすでに相当な水準に達していました。負け戦を大勝利に見せることなど、朝飯前だったのです。


捏造の確かな根拠はいまのところありませんが、だからといって、ヒロシマ原爆の写真と証言が真であると証明されたわけでもないはずです。ヒロシマ捏造を明らかにする研究が進んでないだけだとは、考えられませんか。


一つ重大な事実があります。80年代になって文部省は検定で、学校教科書からヒロシマ原爆被害の写真を削除しています。写真が本物なら、なぜ削除する必要があったのでしょうか。

南京虐殺の写真および証言が捏造であるという根拠はここにあります。


虐殺を否定するには、すべての写真と証言が虚偽であることを証明する必要があります。なぜなら、本物の写真が一枚、本物の証言が一つでもあれば、南京虐殺は本当にあったことになるからです。


南京大虐殺の証拠といわれる写真は何点あるのでしょうか。また、証言はいくつあるのでしょうか。すべてが虚偽だと証明しつくされたとおっしゃるなら、それぞれいくつあったか、教えていただけますか。


ところで、本物の写真が一枚もなかったとしても、虐殺がなかった証明にはならないのです。


フランス革命の写真は一枚もありませんし、関ケ原の合戦の写真ももちろんありません。しかし、フランス革命関ケ原の合戦は幻だったと主張すれば、その人は馬鹿扱いされるでしょう。


写真は人類の歴史の、ほんの最近になって登場した技術であり、歴史上の重大な事実のほとんどは、写真がありません。つまり写真があるかどうかと、歴史的事実があったかどうかは、直接関係がないのです。

>第三の根拠「日本政府の弱腰と被爆者無視」

当時は敗戦直前であり、日本政府に抗議を行う余裕はなかっただけでしょうし、


日本政府に原爆投下に抗議する余裕がなかったというなら、首都陥落で混乱の極みにあった中国側も、南京虐殺を詳しく調査して世界にアピールする余裕がなかったと考えることも可能ではありませんか。


ところで、敗戦直前で抗議する余裕もない状態の日本に、なぜアメリカはわざわざ原爆投下をする必要があるのですか。国際的非難の危険を冒してまで住民を虐殺する必然性がどこにあるのでしょうか。


一方、南京攻略当時の首相近衛文麿は「支那膺懲」をスローガンに掲げ、日本国民の中国侮蔑意識は高まっていました。上海派遣軍司令官松井石根参謀本部の決定に背いて独断で南京攻略を決めました。兵も20代後半から30代後半の後備役兵が中心で、規律が乱れ、若い将校には統率不能でした。彼らは南京さえ攻め落とせば戦争は終わり、帰郷できると信じて、補給もろくにないまま(現地調達を前提として)、南京攻略に突入していきました。南京大虐殺への条件は、アメリカの原爆投下よりも十分にあるように思われます。

敗戦直後は極東軍事裁判という名前の口封じが行われると共に日本国民に対する洗脳が行われただけでしょう。


誰が、誰に、どんな洗脳をしたのでしょうか。日本国民はそれほど愚かだったのでしょうか。もしかしてBさんは、いまはやりの「自虐派」というやつですか。


日本政府は「現在も」アメリカに正式に抗議していませんよ。


それどころか、1975年に訪米した昭和天皇裕仁は、「貴国がわが国再建のために温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、感謝の言葉を申し述べる」と歓迎の晩さん会でスピーチしています。


対日空襲作戦を指揮した元米空軍元帥カーチス・ルメイは、トルーマン大統領の命を受けて広島への原爆投下を実行したと言われています。ところが驚くべきことに、日本政府は1964年にルメイ氏に対して勲1等旭日大綬章を贈っています。


ヒロシマで20万の国民が殺されたのが本当だとすれば、天皇と政府がなぜその加害者に感謝し、勲章を贈るのでしょうか。


ヒロシマ幻の根拠はまだまだあります。


原爆を描いて好評を博していたマンガ『はだしのゲン』(中沢 啓治、少年ジャンプ連載)は74年夏になぜか連載途中で打ちきりになり、1981年には文部省の教科書検定で、丸木位里丸木俊の『原爆の図』が削除されています。


洗脳ならば時間の経過と共に解けるものですが、これはどうしたことでしょう。


天皇も、政府も洗脳されていた(いる)のでしょうか。原水爆禁止運動に最も積極的だったのは、共産党系、社会党系の人々ですが、彼らは洗脳されていなかったのでしょうか。私は洗脳されているのでしょうか。Bさんは洗脳されていないのでしょうか。

>第四の根拠「国内報道もなく、国際社会も冷淡」

国内報道が小さかったのはパニックを恐れたからでしょうし、当時の広島には外国のジャーナリストはいなかったのですから報道がないのは当然でしょう。
当時の中国は日本人が悪逆非道であると国内外に宣伝することに熱心でしたし、南京には外国のジャーナリストが多数いました。それにもかかわらず国内報道もなく、国際社会も冷淡でした。


日本もアメリカ人が悪逆非道であると国内外に宣伝することに熱心でした。それでもパニックの方を恐れて原爆について報道しなかったと、Bさんは解釈するわけですね。ならば、首都南京の陥落という大敗北と市民の大量虐殺に際して、中国側も国民のパニックを恐れてそれに触れなかったと考えることもできるのではないですか。


もう一つ確認しますが、Bさんは、新聞に載っていれば南京大虐殺はあったと納得されるのでしょうか。


上の文によれば、Bさんは報道の多寡とヒロシマ原爆の真実性は関連がないとお考えのようです。同様に考えれば、報道がなかったとしても、南京大虐殺がなかったことの証明にはならないわけですよね。確かに、新聞には世の中のすべてのことが載っているわけではありませんから。


実は、中国国内でも海外でも、南京大虐殺は大きく報道されています。日本への輸入の過程で配布禁止処分になったものだけでもニューヨーク・タイムズ、ザ・タイムズ、マンチェスター・ガーディアン、シャンハイ・イブニング・ポスト&マーキュリー、工商晩報など27紙、31回にのぼります。


当時朝日新聞のニューヨーク特派員だった森恭三は、アメリカでの報道を翻訳して詳細に打電しましたが、一行も掲載されなかったそうです。敗戦後、森はその痛恨の思いを胸に朝日新聞の戦争責任を----不十分ながらも----自己批判した宣言文「国民と共に立たん」を執筆しました。(朝日が戦前のままだったら、自由主義史観を称する人々からも攻撃されないですんだかも知れませんね。いや、最近の朝日は、当時の姿勢に戻りつつあるようにも思えるのですが…)


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小山さん。

スイス政府を通じて(スウェーデンだったかな?)抗議したとおもいます。


どんな内容の抗議だったのでしょう。
それに、なぜ直接アメリカに抗議しないのでしょうか。ますますあやしくないですか。


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日出ずる国の若者さん。

#4599
そもそも米津さんは広島長崎の原爆投下があったと確信しているのにもかかわらず、それがなかったという根拠を説明しようとすること自体に無理があるのです。そのせいで混乱を引き起こしてしまっています。それはというと

1959年、キューバ革命勝利の年に来日したゲバラは、無名兵士の墓に詣でる予定をキャンセルしました。「日本の無名兵士とはアジアで数百万人を殺した兵士のことではないか。そんなところへ行くわけにはいかない」。そしてゲバラは、予定になかった広島へ向かいました。原爆資料館を1時間かけて見学したゲバラは、案内役の人にこう言ったそうです。「アメリカにこんな目に合わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」。ゲバラもあきれた日本政府の弱腰は何なのでしょう。やはり日本による真の虐殺の帳尻あわせにすぎないのでしょうか。

この文章は文脈上おかしいです、ゲバラの逸話を根拠に話を進めている以上、話者は原爆投下があったと確信しているはずです、実際米津さんは確信しているのです(笑)、さてさて米津さんはこの文で結果として原爆投下はあったという結論を導きだしてしまっています。ここでいう日本による真の虐殺の帳尻あわせというのは広島長崎原爆投下の事実でしょう?原爆はなかったという根拠にもとづき論を展開しているハズなのにね。それならばこの文章は根拠をあげた後の方にかくべきだったのではないでしょうか、色々とお忙しいので


私の投稿の主旨をよくご理解されていないようなので、説明します。


もちろん私はヒロシマ原爆があったことを確信しています。それと同じ強さで、南京大虐殺があったことも確信しています。


私は広島の原爆資料館を三度にわたって訪れたことがありますが、その度に「人間が人間に対してこんな酷いことができるものなのか」と、強い衝撃を受けました。


一昨年に初めて南京の大虐殺記念館を訪れたときも、ヒロシマで受けたのと同様な衝撃を受けるとともに、自分の足元が沈み込むような感覚を覚え、自分が日本人であることの意味を噛みしめざるをえませんでした。


私にとって南京大虐殺と広島への原爆投下という二つの事件は、切っても切り離せない、ひとつながりの歴史的出来事として、私の生き方を大きく支配してきました。


無名兵士の墓への墓参を拒否したゲバラも、ヒロシマを確信していたと同時に、南京も確信していたことは間違いありません。彼にとって、広島の非戦闘員を大量虐殺したアメリカへの怒りと、何百万人ものアジアの民を虐殺した日本への怒りは、同じものだったのです。


南京なくしてヒロシマはありえません。誤解のないように急いで付け加えれば、南京があったからヒロシマもしかたない、という意味ではありません。どちらもあってはならない出来事だったのです。


もしあなたの挙げた程度の根拠をもって、私が絶対的確信を持っている南京大虐殺が幻であることが証明されるなら、私のヒロシマへの絶対的確信も、やはり揺るがざるをえません。そして、ゲバラの怒りもヒロシマがあったことの根拠にはならなくなるのです。


南京大虐殺ヒロシマ原爆の帳尻あわせとして捏造されたという、あなたの論理が成り立つとするなら、ヒロシマ原爆は南京大虐殺に代表されるアジア人民虐殺の帳尻あわせとして、日本を被害国に見せかけるために捏造されたという論理もまた、成り立ちうるのではないか----それが私の言いたいことです。

それと食人についてのコメントですけれども、中国人は慣習として食人をしていたわけです、食べ物がなくて飢餓に苦しむ人がやむおえず人肉を食するのとはわけが違うでしょう、無理矢理日本人を残忍に仕立て挙げるのは良くないと思います、中国人の残虐性の多くは通州事件について調べてみるとよくわかります。その残虐性は到底日本人の考えに及ぶものではありません、異常ともいえる行為がそこで行われたのです。


一説によれば、世界中のあらゆる民族といってもいいほど、食人の慣習についての報告は多数あるそうです。しかし、そのほとんどは「私たちは食わないが、隣の村のやつらは食う」「私たちは食わないが、妖術師は食う」という類の、伝聞・伝承の形に限られ、資料批判にたえうる直接観察にもとづく報告は皆無に近いようです。(平凡社『大百科事典』「カニバリズム」の項参照)


私には中国人の知人が何人かいますが、彼らは人を食いません。中国にも数回行ったことがありますが、中国人が人を食っているところを見たことはありません。


一方、日本に首狩りの慣習があったことはよく知られた事実です。武士たちは、戦で自分の手柄をたてた証として、敵の首を切り落として持ちかえりました。その慣習は残虐ではないのでしょうか。


また、死刑は残虐な刑罰として、多くの国で廃止されていますが、日本はまだ死刑制度を存続させています。すると日本人は残虐な民族なのでしょうか。


ナチスユダヤ人を大量虐殺して、その死体から石けん*1や衣類をつくりました。では、ドイツ人は残虐なのでしょうか。


アメリカ人も、アメリカ原住民を大量に虐殺し、ベトナムでは住民を村ごと虐殺しましたが、アメリカ人も残虐なのでしょうか。


フランス人もフランス革命で自国民同士が殺し合いをしましたが、それはフランス人が残虐な国民だからでしょうか。


人を食うから残虐なのか、殺し方の問題なのか、数の問題なのか、他国民を殺すならよくて自国民だから残虐なのか……。何が異常で何が正常なのでしょう? 国別に残虐さを競いあうことに、どんな意味があるのでしょうか。


結局、もともと残虐な国民・民族などいないのです。この世には、残虐な行為が存在するだけです。南京大虐殺ヒロシマ原爆も、日本人やアメリカ人がもともと残虐な国民であるがゆえの行為ではなく、その背景にはさまざまな歴史的要因、判断の過ち、個人的欲望や現実への追従などが絡みあっています。


行為には必ず主体があります。誰が命令し、誰が実行したのか、責任は誰がどう負うべきか。それを正しく知り、責任者を裁き、後世に伝えていくことこそ、残虐な行為を再び繰り返さない唯一の道だと、私は考えています。


バックナンバー
世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」

*1:最近の研究では、いわゆる「人間石鹸」が大量生産された事実はないそうである。だが、もちろんこれはホロコーストをはじめ、ナチスの蛮行がなかったことを意味しない。ホロコースト否定派は、こうしたわずかな「傷」を攻撃することで、ユダヤ人虐殺全体をマボロシ化しようとしている。ホロコースト否定派と「石鹸話」参照