世界はヒロシマを覚えているか(3)「8月6日と12月13日。」

※まえおき:直接こちらに来られた方は、まずヒロシマに原爆は落ちたのか――歴史修正主義の行き着く先をお読みになってください。なお、「世界はヒロシマを覚えているか」という連載の共通タイトルは、再掲するに当たって付けたものです。


記事番号:4638 (1998年08月06日 10時53分47秒)
世界はヒロシマを覚えているか(3)「8月6日と12月13日。」

 〈ヒロシマ〉というとき
 〈あぁヒロシマ〉と
 やさしくこたえてくれるだろうか
 〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー
 〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺
 〈ヒロシマ〉といえば女や子供を
 壕のなかにとじこめ
 ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
 〈ヒロシマ〉といえば
 血と炎のこだまが返って来るのだ


    ----栗原貞子ヒロシマというとき」より----


今日は8月6日。


この日が広島の原爆記念日であることを知らない日本人は少ないでしょう。毎年この日になると、テレビや新聞で、広島の記念式典の模様をはじめ、多くの報道が流されます。今日の朝日新聞にも、社説や「天声人語」、見開き2ページを使ったシンポジウムなど、朝夕刊あわせて大小24本の記事が掲載されていました。特に今年は、インドとパキスタンの核実験の記憶が新しいので、ヒロシマはより強調されているかもしれません。


では、12月13日は何の日でしょうか。


この問に答えられる日本人は何人いるでしょうか。でも中国人の多くは、この日が何の日かをよく知っています。


1937年のこの日に、日本軍は南京を占領しました。61年前のこの日、多くの日本人たちが「祝・南京陥落」ののぼりを立てて、提灯行列に繰り出しました。新聞も大々的に報じて祝勝気分を盛り上げました。もちろん大虐殺については報道管制がしかれ、日本人の多くは東京裁判でその事実が明かされるまで、自分たちの夫や息子や父親たちが、無辜の市民や投降兵を数えきれないほど虐殺したことを知りませんでした。


去年は南京大虐殺から60年目にあたる年でした。去年の12月13日前後、朝日新聞に掲載された南京大虐殺関連の記事は、わずか5本です。どれも、さほど大きな記事ではありません。行数で比べたら、広島原爆の記事量とは相当な差になるでしょう。


85年以降の「天声人語」を調べると、広島原爆関連が44回に対して、南京大虐殺関連はわずか3回です。それも、南京虐殺を直接論じたものではなく、永野茂門法相の「南京虐殺はでっちあげ」発言に関するものです。


朝日新聞はまだしも南京大虐殺が事実であるという立場をとっており、それゆえに「マボロシ派」からさまざまな攻撃にさらされていますが、それでもこの程度の扱いです。日本のメディア全体における、ヒロシマと南京の情報量の差は、いかほどになるでしょうか。


メディアは事実を報じることによって現実に意味付けをしますが、事実を無視することによっても、やはり現実に意味を付与します。


       ***    ***    ***    ***


Bさんが思ったよりも早く論争からオリてしまったので、書き残したことを述べておきます。


ヒロシマを疑う人は、まずいないでしょう。いまの日本で、ヒロシマが幻だと真顔で主張する人がいれば、その人の常識が疑われ、社会生活にも支障を来すことでしょう。ヒロシマは疑いようのない事実なのですから、それは当然のことです。


でも、その根拠を問い詰めていけば、大抵の人はBさんと同じ水準なのです。直接にヒロシマを経験した人は少数であり、一次資料にあたることのできる人も、多くはありません。ただ、毎年のようにこの時期には新聞・テレビが大きく報じており、さまざまな行事が行われるなど、日本の現実がヒロシマがあったことを前提として動いているから、疑う余地が生じないだけのことです。


では、同じように疑いようのない事実である南京大虐殺について、なぜ日本でだけ、その存在を疑う人が絶えないのでしょうか。なぜ、ヒロシマについては問題にされないようなデマや枝葉末節が、南京については「虚構の証拠」とされ、ヒロシマについては絶対にメディアに載らないような「事実誤認」が、堂々と雑誌に登場するのでしょうか。


石川さんが「原爆豚パティー」の話に反論されていますが(もちろん私も原爆の殺傷能力の巨大さを微塵も疑ってはいません。念のため)、南京マボロシ説のなかには、この「原爆豚」に類するトンデモ話が平気で登場し、それが信じられてしまうのは、どうしたことでしょうか。


被害実態の調査も困難のなかですすめられており、犠牲者30万人は特に過大な数字ではないのですが、マボロシ派はそれを決して認めようとはしません。


それはメディア状況に見るように、南京の世界史的重大性がいまだに日本の常識になっていないためでしょう。大江健三郎ヒロシマのことはよく記憶していても、南京のことは忘れてしまっていたことを、はからずも金芝河との対談で露呈してしまったのです(日出ずる国の若者さんは私の意図を誤読していたようですが)。


日本で「南京は幻だ」と言っても、その人の常識を疑われたり、社会的に不便を被ることはありません。日本の現実は、南京が事実であることを前提としていないのでしょう。


このスレッドのきっかけになった、いぎさんの心配は、現実になってしまいましたね。中川昭一農水相は、辞任もせずに大臣のイスに留まるようです。これからも、新内閣ができるたびに、同じことが起こることでしょう。


日本で南京が完全に幻になる日も、近いかもしれません。日本は、国際連盟を脱退した頃のような、孤立への道を歩むことになるのでしょうか。それでもなお、世界はヒロシマを覚えているでしょうか。


すでに#4629でもいくつか例を挙げましたが、日本政府・文部省は、ヒロシマの悲惨さを極力隠そうとしています。教科書の広島原爆に関する記載は、「悲惨すぎる」という理由で、80年代に半減したそうです。また昭和天皇裕仁は、75年訪米後の記者会見で、「原爆は気の毒だがやむをえなかった」と無責任極まる発言をしています。


日本でも、パキスタンのように「ヒロシマにならないために核を持つべきだ」という言説が世論化されることは十分にありうるのではないでしょうか。


冒頭に引用した詩は、次の言葉で締めくくられています。

 〈ヒロシマ〉といえば
 〈ああヒロシマ〉と
 やさしいこたえがかえって来るためには
 わたしたちは
 わたしたちの汚れた手を
 きよめねばならない


      ***    ***    ***    ***


この間のヒロシマ=南京論争で参考にした書物をあげておきます。


南京大虐殺にいたる日本軍内部の葛藤や、事件の全体像、その国際的影響などを、コンパクトに知るためには、『南京事件』(笠原十九司岩波新書)がいいでしょう。


南京大虐殺の証明』(洞富雄、朝日新聞社)は、86年刊と少々古いのですが、南京マボロシ説を撃破するためにはこの一冊で十分です。Bさんが信じているらしい田中正明マボロシ派がいかに事実をねじまげ、無視しているかよく分かりますし、どのように論破しようが、こうした連中には蛙の面にションベンだということも教えてくれます。


「原爆豚パティー」の話は、『戦争と正義----エノラ・ゲイ展論争から』(エンゲルハート、リネンソール、朝日選書)によりました。アメリカでヒロシマの被害の実像がどのようにマボロシ化されているかを知ることができます。本土侵攻によるアメリカ兵の犠牲は原爆投下を正当化するために過大に見積もられているということです。


昭和天皇裕仁がなぜアメリカに感謝したのか、なぜ日本政府はアメリカに弱腰なのか、その真の理由を知りたければ、『安保条約の成立----吉田外交と天皇外交』(豊下楢彦岩波新書) をお勧めします。戦後の象徴天皇制などまやかしだったことが分かり、「洗脳」から抜け出せますよ。この本を読んで、裕仁だけはやはり生かしておくべきではなかったと再確認しました。


バックナンバー
世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」
世界はヒロシマを覚えているか(2)「ますますあやしい? ヒロシマ原爆。」