ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。

記事番号:5284 (1998年11月15日 20時55分29秒)
ルールと差別----あるいは、人工衛星金嬉老事件
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5284.html



○○さんは朝鮮民主主義人民共和国人工衛星打ち上げについて、次のように述べています。


#4999
北朝鮮が打ち上げに関し事前通告しなかった事。
>宇宙ロケットの打ち上げについては、それを事前に国際機関に通告し、それを公表するのが
>国際的なルールになっています。それにより予想飛行経路上の航空機や船舶等に対して警告を
>発して、十分退避する時間を与えてから堂々と発射するのが国際社会の常識です。
>ルールは守るべきでしょう。私はそう思います。


まず宇宙条約(1967)についてみると、その第11条は宇宙探査に関する情報提供につい
て次のように定めています。


「条約の当事国は…その活動の性質、実施状況、場所および結果について、国際連合事務
総長並びに公衆および国際科学界に対し、実行可能な最大限度まで情報を提供することに
同意する」


つまり、「実行可能な最大限度まで」という曖昧模糊とした規定があるだけで、事前通告
については何も言っていません。私が思うに、宇宙条約が冷戦時代の産物であり、大国の
利害に配慮した結果だと思われます。米・ソ・中も、最初の人工衛星は秘密裏に打ち上げ、
成功した後に発表していますし、安全保障理事会の理事国でありながら一度も事前通告を
したことのない国もある、と共和国側は主張しています。


次に、国際民間航空条約(シカゴ条約)、国連海洋法条約は、それぞれ「民間航空機の航
行の安全について妥当な考慮を払うことを約束する」、(航行の自由、上空飛行の自由な
どは)「公海の自由を行使する他の国の利益…に妥当な考慮を払って行使されなければな
らない」と定めており、事前通告なしの衛星打ち上げは「妥当な考慮」が払われていない
がゆえに違法である、とする考え方は可能だと思われます。ただ、「妥当な考慮」の解釈
の余地は残るので、これだけを理由に共和国になんらかの法的制裁を加えることは難しい
のではないか、と思われます(共和国側はコースを外れた場合に備えて、自爆装置をつけ
てあったと主張しています)。


さらにシカゴ条約には軍事演習の事前通告に関する規定があるらしいのですが、シカゴ条
約の全文を入手できず、確認できませんでした。ただし今回のケースは軍事演習ではない
ので、これには該当しないかも知れません。


一方、これは条約ではありませんが、国際海事機関(IMO)の決議では、船舶航行の安
全に支障となるような軍事訓練などを行う場合、沿岸国への事前通報に努めることが定め
られています。世界の海域を16に分け、訓練などを行う国が各海域の担当国に連絡し、
担当国が「航行警報」を電波で発信することになっています。極東地域の担当国は日本に
なっており、窓口は海上保安庁です。


国際法違反とは言えないにしても、確かに今回の共和国の行動はこのルールを無視したも
のと言えましょう。


**


私も事前連絡はあってしかるべきだと思います。やはり連絡なしによその国の上空を飛び
こえたり、公海上にものを落とすのが危険なのは間違いありませんから。しかし、「ルー
ルは守るべきでしょう」というだけでは済まない問題があることも事実です。○○さん
だって、その言葉の空しさを、薄々感じていらっしゃるのではないでしょうか。


ルールを守れ----この絶対的に正しい呼びかけが、真っすぐに相手に伝わるためには、い
くつかのハードルを越えなければなりません。



第一に、日本政府は共和国を国家として認めていませんから、事前通告しようにも、その
窓口すらありません。


#4997で、私はこう書きました。
>共和国は50年も前から、日本の隣にあります。にも関わらず日本政府は、約2千万人が
>暮らす、しかもかつては「日本の一部」だった地域を統治する国家を、あたかも存在しな
>いかのように見なしてきました。在日朝鮮人の「朝鮮籍」が国籍ではなく単なる地域であ
>る、という政府の見解も、その一環です。
>共和国が国交のあるロシアと中国に事前通告し、自国を無視してきた日本に何も言わなか
>ったというのは、当たり前といえば当たり前。「存在しない国」からあいさつがないとい
>って怒るのは筋違いというものです。日本も衛星打ち上げにあたって、共和国に事前通告
>したことなどありません。


それに対して、○○さんは#4999でこう反論されました。
北朝鮮が存在しない国であると、日本国は考えていないのではないか、わたしはそう思います。
>でなければ、国交交渉などしないでしょう。


存在することは日本政府も当然知っています。そんなことはあたりまえです。私が言って
いるのは、「あたかも存在しないかのように見なして」いる、つまりシカトしている、と
いうことです。お互いに在外公館はありませんし、原則として公務員同士の接触も禁じら
れています。同じ海を共有し、本来なら協力して海の安全を守るべき日本の海上保安庁
共和国の海上警備組織は、相互の連絡も接触もまったくないのです。こうした不自然な状
態は、65年に結ばれた日韓条約において、朝鮮半島を代表する唯一の政権を大韓民国
定めたことで、固定化されました。


誰だって、自分をシカトする相手にあいさつなどしたくはありません。あいさつしように
も、日本側の扉は閉ざされています。共和国側が事前連絡をくれるかどうか、海上保安庁
だって分かっていたことでしょう。


共和国が本当に、いま日本で言われているような非常識な国----○○さんが#5217でいう
ところの「山賊、強盗の類」が統治する国であるなら、中国やロシアにわざわざ連絡した
のはなぜでしょう。一定の信頼関係があり、それを壊したくないからではないですか。事
実、共和国は世界の137カ国と信頼関係を築き、国交を結んでいます。


つまり、日本さえ考え方を変えれば、共和国と信頼関係をつくり、衛星打ち上げの相互連
絡の仕組みを作るくらいのことは可能なのです。



第二に、日本自身がルールをないがしろにし、人命を軽視しています。


今回、航行警報について調べていると、次のような事実が明らかになりました。
96年12月10日、演習で岩国基地を飛び立った米軍機が、那覇沖合に四百五十キロ爆
弾を投棄するという事故がありました。爆発せずに沈んだものの、現場はフェリーの航路
にあたり、衝撃を受ければ爆発の可能性もありました。しかしアメリカから連絡を受けた
外務省は、海上保安庁に対して「公表を見合わせてほしい」と要請したのです。結局、航
行警報が出されたのは、2日後の12日でした。


また、今年の8月21日、アメリカがアフガニスタンスーダンをミサイル攻撃した際、
パキスタンは自国の領空が侵犯されたことに抗議し、アメリカを非難する書簡を安保理
送りましたが、小渕首相はアメリカの国際法違反を責めるどころか、ミサイル攻撃に理解
を表明しました。


これでは日本政府の共和国への抗議が、ルールや人命の尊重に基づく、公正なものだとは
思われないでしょう。



第三に、今回の騒ぎの裏には、日本人の朝鮮蔑視があります。


まず、9月5日の朝日新聞の社説から、一部を引用します。


 #国際協調による関与こそ 北朝鮮政策


   この隣国と、いったいどうやって付き合っていったらいいのだろう。
   朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)による新型ミサイルの発射実験をきっかけに、
  多くの日本人が、あらためて考え込んでしまったに違いない。
   「我々の自主権に属する」「日本がせん越に口出しする性格の問題ではない」。北
  朝鮮当局の声明は、実験をそう論評した。日本政府の抗議や衆参両院の決議を無視し、
  あえて日本人の感情を逆なでするかのような姿勢である。(中略)
   北朝鮮人工衛星だったとしている。にわかには信じがたいが、かりにそうだとし
  ても、軍事的な危険性に変わりはない。
   日本がしなければならないことは、まずミサイルの開発、実験、配備、輸出に対す
  る抗議の意思を、あらゆる機会と場所をとらえて北朝鮮に伝えることだ。
   政府は、日朝国交正常化交渉の再開と、食糧支援、北朝鮮に対する軽水炉の提供事
  業への協力を、当面凍結することを決めた。平壌と名古屋の間のチャーター便の運航
  も認めないこととした。
   北朝鮮に日本の強い意思を示し、真剣な対応を迫るには、妥当な措置である。日本
  の安全や地域の平和を脅かすような行動が、経済的に割にあわない結果となることを、
  具体策で示すことが必要だ。


次は、中国の人工衛星打ち上げを論じた、70年4月27日の朝日の社説(抜粋)です。


 #中国の人工衛星成功に寄せて


   中国が人工衛星を軌道にのせ、世界で五番目の衛星打ち上げ国になった。(中略)
   七〇年代は、米ソ以外の多くの国が宇宙開発の分野に進出する年代である。当然各
  国ともそれぞれ独自の宇宙開発計画を持っているだろう。領土の広い中国では通信衛
  星のような実用衛星の役割を相当重視していることも推測にかたくない。今回の衛星
  は、そうした「宇宙技術開発の順調な始まり」と見るべきであり、中国が宇宙開発の
  ような科学技術の重要分野で多くの工業諸国に先がけて実績をあげたことには、敬意
  と祝意を表したい。(中略)
   たしかに、平和利用の技術は密接に軍事技術と結びついている。今回の打ち上げも、
  軍事的な能力に結び付けて考えないわけにいかないことは間違いない。(中略)
   われわれは、こうした側面からのとらえ方にはそれなりの根拠があることは認めな
  がらも、中国が今回の成果を平和利用分野での技術発展に生かしていくことを期待し
  ないわけにはいかない。(後略)
   

この頃の朝日新聞は、明確な親中国路線をとっていたので、これだけでは扱いが不公平な
のは当然だと思われるかも知れません。
しかし、例えば読売は「かなり以前から予想されていたことで、いまさらのように驚くこ
とはあるまい」「中国の核の脅威を必要以上に強調して、客観的には中国を敵視すること
になる“力による対応策”へ国民を誘導することは、日本の安全と繁栄にとって危険な道
であることを銘記しなければならない」(同年4月28日)、毎日も「冷静に考えれば…
中国が米ソの核基地をたたくだけの第一撃能力体系を持ちうるとは思われない」「いたず
らな感情論や観念論に基づく論議は、決して国民の願望する本当の安全保障をもたらすも
のではない」と、今回のケースとは違い、日本への脅威論をあおったり、制裁を主張する
ことなく、理性的な反応を見せています。


日本上空を飛び越えなかったから? でも、この時の中国はすでに核実験に成功しており、
日本全域が中国の核ミサイルの射程に入ったという意味では、その軍事的意味は朝鮮の衛
星どころではありません。当時中国は、日本と国交はなかったし(日本政府の言い分では
中国共産党が不法に支配」していたわけですね)、国連にも代表権はありませんでした。
もちろん発射の事前通告はありませんでした。各紙が強調する日本の安全保障の側面から
見れば、どちらが現実的脅威かは明白でしょう。


さらに最近の例でいえば、中国が台湾付近にミサイルを打ち込んだとき、沖縄の漁民は何
日間も出漁を見合わせなければならず、日本人の実生活には「テポドン」とは比べものに
ならないほどの影響がありました。にも関わらず、中華学校の生徒が襲われたとかいう話
は、まったくありません。


こうやってさまざまな角度から検討すると、やはり今回の日本の反応は、たとえそれが国
際ルールに反し、危険を伴うものであったとしても、尋常ではないことがお分かりになる
と思います。


大国へのおもねり、小国への蔑視、朝鮮支配の未清算、本土重視と沖縄差別…。「テポド
ン」騒ぎは、日本社会に蔓延する矛盾が絡み合って噴き出した日本人自身の問題でもある
ことを見つめなければ、何度でも形を変えて繰り返されることでしょう。


***


この投稿を書いていて再び思い起こされたのが、#5215でも紹介した森崎和江『二つのこと
ば・二つのこころ』の、次のような一節です。森崎は金嬉老事件によせて、「私は人質の
位置にいた」と前提した上で、こう書いています。


  # それは、日本人は誰でも、あるとき、ふいに個人的な理由なしに、朝鮮人によっ
   て人質とされて、なんのふしぎもないといいたいためだ。しばしばそうなるであろ
   うことを指摘しておきたいからだ。人質とは、朝鮮人の主体性にとりおさえられる
   状態である。けれどもまた、朝鮮人の主体性に対して、まともに対応する自由----
   つまり生命の危機感とひきかえに自己の朝鮮を掘り起こす自由----を確保する。
    日本人は犯罪の有無にかかわらず、人質として日本人が朝鮮人の主体性にとりお
   さえられることを、ふつごうだと考える。それは日本の大衆にとって、ごく自然な
   発想である。そしてまた日本の支配意識も、さようなことはふつごうだと考えるが、
   それはいささか不自然な反応である。その意識は反応の立脚点を心さわがしく探さ
   ねばならない。
    ではもし、中国人が日本人大衆を人質にしたらどうだろう。朝鮮と中国は、とも
   に日本国が侵略の対象とした相手である。が大衆の両者に対する感情にはかなりの
   差があるのだ。
    私は朝鮮語の本を時折電車のなかで開くことがある。……或るとき誰かが声をか
   けた。「なぜ朝鮮語の勉強をなさるのですか。どうせやるなら中国語がよくはあり
   ませんか」この反応は大衆の気持ちをよくあらわしている。もしこれら大衆が中国
   人の手で人質になったなら、やはり不都合なことだと大衆一般は反応するだろうか。


金嬉老の孤独な戦いから、30年の歳月が流れました。金嬉老はいまも無期懲役囚として
獄中にあり、オモニは11月4日、息子の出獄を待つことなく、亡くなりました。


金嬉老事件と朝鮮の衛星打ち上げは、もちろん全然関係のない、別々の出来事です。しか
し、30年の時を隔てたこれら二つの出来事に接したときに、日本人の心にわき起こった
感情が、全然別種のものだとも、私にはどうしても思えないのです。
朝鮮人の主体性に対して、まともに対応する自由」を、いまだに日本人は確保できてい
ないことが、再び露呈してしまったのではないか。それゆえに金嬉老はいまも日本の最長
期囚として獄にあらねばならないのではないか。
政治家とマスコミが騒げば騒ぐほど、そんな苦い思いがこみ上げてくるのです。



(注)金嬉老氏は1999年9月7日、一度も見たことのない“祖国”、韓国に「帰国」
   することを条件に、仮釈放された。事件から31年目のことだ。