北京亭の箸袋----あるいは「中国」と「支那」の思想的意味。

記事番号:4827(1998年09月03日13時46分37秒)
北京亭の箸袋----あるいは「中国」と「支那」の思想的意味。


先日、仕事がひけた後、東京・神保町の内山書店を覗いてみました。

実は、「支那」(という言葉)についてまとまった形で論を展開している書物は意外に少ないのですね。呉智英の超歴史的・文脈無視の「支那」擁護論を除けば、私が知る限り、竹内好の『中国を知るために』(勁草書房)くらいです。10年ほど前に読んだのですが、引っ越しで本を整理した際に古本屋に売ってしまったために、手元にありません。そこで再入手しようとして内山に行ったのですが、なぜか竹内の著作は魯迅の翻訳を除くと、一冊も見あたらず、結局無駄足でした。

それにしても、中国書の専門店に竹内好がないというのは、ちょっとしたショックでした。最近の中国語学習者は、竹内好なぞ知らないのかしら。竹内のアジア主義は全否定されなければならないと私は考えていますが、彼の思想と行動を無視して日本人が中国を語ることはできないとも思うのですけど。

竹内好は1934年、武田泰淳らとともに「中国文学研究会」を結成しました。武力を背景に中国から「満州」を「独立」させ、国際連盟を脱退した当時の日本は、当然に「支那」全盛の時代でした。その中で竹内がわざわざ会の名に「中国」を冠したのは、やはりそれなりの意味合いと覚悟を込めてのことだったのでしょう。42年に同会は大東亜文学者大会への非協力を声明して、翌年に解散しています。

そんなわけで、「支那」についての竹内の考えを詳しく紹介できませんが、ごくかいつまんでいうと、畏怖と蔑視の間を激しく揺れ動く近代日本の中国観を克服し、中国と対等に向き合うには、「支那」でなく「中国」と呼ぶべきだ、ということが書かれていたと記憶しています(もし『中国を知るために』をお持ちの方がいたら、詳しく紹介していただけたらと思います)。

日本人の中国蔑視に警鐘を鳴らしつづけた竹内が「支那」を否定していることは、留意されるべきでしょう。同時に、「南京大虐殺はウソ」と言ってのけた石原慎太郎が、「私は支那を使い続ける」と述べたことを考え合わせると、「中国」と「支那」が持つ思想的意味合いは、一層はっきりします。

さて、残念ながら目的の本は入手できなかったものの、その後少し歩いて、北京亭で飯を食うことにしました。北京亭は知る人ぞ知る中国料理の老舗で、いつ行っても混んでいます。カウンター席の隅に腰掛け、炒飯と餃子、ちょっと奮発してビールの小瓶をとりました。

この店にわざわざ足を運んだのには実は訳があって----料理がおいしいのはもちろんですが----箸袋を入手するためでした。

北京亭の箸袋には、次のような文句が印刷されているのです。

世界中、どこの国の人も、自国に誇りをもちたいと思っています。大国でも小国でも同じです。
私たち中国人は、日本の人がわが国を「シナ」と呼ぶとき、耐えがたい抵抗を感じます。中国人が祖国を「シナ」と呼んだことはありません。同じ漢字を用いる日本の人が中国を「シナ」と呼ぶとき、私たちはどうしても日本が中国を侵略し、中国人を侮っていた頃の歴史を想起してしまうのです。両国人民の子子孫孫の友好のために、どうか「シナ」といわず「中国」と呼んで下さい。正式国名は「中華人民共和国」です。

 北京亭主人敬白


北京亭の主人は江頴禅さんといいます。70歳を超えたいまも、江さんは自ら中華ナベを握り、厨房に立っています。その日も江さんの元気なお姿を拝見しながら、冷えたビールで熱々の餃子を頬張ったのでした。

江さんは、朝日新聞の「論壇」(90年3月6日付)にも『「支那」の呼称は許されぬ』という一文を寄せたことがあります。下はその抜粋ですが、中国人が「支那」をどんな気持ちで受け止めているかがよく分かる文章です。

……中国人は古来、自分の国を「支那(シナ)」と称したことはない。古く「秦」に由来したと思われる「チャイナ」「シナ」が同根であることは学説的にも広く認められている。しかし決定的なことは「支那」という日本語は、最近百余年、日本がわが国を侮り、侵略し虐げた時期に、侮蔑(ぶべつ)の意味と響きを込めて勝手に使われ続けたという事実である。当時も、中国人は自国を「清」と言い、あるいは「中華民国」と呼んでいたのに、日本の軍閥と日本の人々は「支那」「支那人」と言ったのである。その侮蔑の痛みは、被害者の側であるわが国民にとっては、とても忘れることができず、また忘れてはならない記憶として残っている。


これと似たような語としては、「朝鮮」があります。「朝鮮」はもちろん差別語ではなく、現在も朝鮮民主主義共和国の正式名称にも使われています。しかしそれが日本の朝鮮侵略のなかで、侮蔑的語感をともなって使われたため、「チョーセン」という音は非常に差別的な意味合いを持たされてしまいました。ピョンヤンからの日本語放送を聞いていると、「朝鮮」だけは「ちょうせん」ではなく、「チョソン」と発音されています。

badlifeさんの#4754
> 「中国」という国家が未だ存在していなかった時点における「あの地域」の呼称としては「支那」のほうが適当であると申し上げているだけです。

何をとぼけたこと言ってるんでしょうか。奇兵さんはアイリス・チャン氏を指して「シナ系米国人」と呼んでいるんですよ。彼女はもちろん中華民国成立以降に生まれた現代人です。

中華民国が成立したのは1912年です。ところが日本政府は、それ以降も公式文書においても「中華民国」「中国」という国号を使わずに、ことさらに「支那」と呼びました。
その事実は、「支那」が「中国」という国号がなかった時代の中立的な地域名称ではなく、中国を正当な国家と認めたくないがゆえの政治的用語であることを示しています。

そこには、革命を成し遂げアジア最初の共和国となった中国を、警戒しつつも、軽んじ、無視しようとする日本政府の意図が反映されていたのでしょう。
もちろん、天皇支配の下でアジアの「盟主」を目指していた日本にとって、「中国」という国号が不愉快だったことは、いうまでもありません。それは日清戦争での勝利による奢りのあらわれに他なりません。

またこれは私の仮説ですが、多民族国家である中華民国を、漢族の伝統的領域である「シナ」に矮小化することによって、満州族モンゴル族などの少数民族を意識の上で分離し、中国侵略を正当化しようとする意図もあったのかも知れません。

ちなみに現代の日本で、「シナ」が公に使用されるケースは、地名としての「東シナ海」などと、言語名としての「シナ語」の二つです。

しかし、例えば東シナ海は、中国では「東海」と呼ばれ、漁業協定の日本文でもそう記述されています。ところが文部省は教科書検定で「東シナ海」に固執しています(文部省は官庁のなかで最も守旧的だという話を聞いたことがあります)。

言語学の領域では「シナ語」が使われていますが、その理由は次の3つに集約されると思われます。

・必然的に国境を超えざるをえない言語学において、「国」という語を含む「中国語」という名称はなじまない(同様な理由で「韓国語」も使わず、「朝鮮語」と呼んでいる)。
・中国は多民族・多言語国家であるため、漢族の民族語を「中国語」と呼ぶことは、学問的にあいまいで、不適切。
・中国において「中国語」を意味する「漢語」(hanyu、声調記号は省略)が日本語の「漢語」と同表記なので、混同しやすい。

しかし、私は地名も言語名も、何らかの別の言葉で置き換えすべきだと思いますし、それは可能でしょう。「東シナ海」は「東中国海」、「シナ語」は「チャイナ語」とでも呼べばいいし、もっといい知恵があるかもしれません。

江さんは前出の「論壇」の中で、こうも述べています。

科学は自然科学にせよ、社会科学にせよ、究極には人類すべての友愛、協力、幸福に奉仕すべきものであろう。差別や対立、憎悪を招くような用語は排除すべきである。「中国」は「世界の真ん中にある国」の意味で、固有名詞ではないといった主張もある。しかし中国人は、日本の人が自分の国を「日の本の国」と呼んでいることに対して、それは科学的でないから、たとえば「倭(わ)」と呼ぶべきだ、などとは言わない。日本をどう呼ぶかは、一義的に日本人の権利であり、他国はそれを尊重すべきなのである。日本を科学的、客観的に観察するのに、それは少しも妨げにならない。


いろいろ書きましたが、一言でいえば、相手の名を正しく呼ぶことは、人間関係の基本中の基本だということです。相手が「私は○○です」と名乗っているのに、「いや、私はあなたを××と呼ぶ。それは私の勝手だ」などと言う人がいたら、その人の常識が疑われるだけです。理屈をこねればこねるほど、腹に一物あると思われることでしょう。

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ところで、最近「支那そば」をメニューに掲げるラーメン屋が増えてきたことが、私には気がかりです。そこにはたいてい「昔懐かしい味」というキャッチ・コピーが添えられているのも、気になります。「昔」とはいつのことでしょうか。日中国交回復以前のことなのか、それとも「満州国」があった頃でしょうか。

ラーメンは最も大衆的な食べ物です。その名称に「支那」が増えているということは、それが大衆的支持を得つつあることの、一つのあらわれだと思われます。

文革の失敗、資本主義経済の導入、天安門事件で、多くの日本人が勝手に抱いていたある種の幻想が色あせ、再び日本人の中国イメージは、竹内の警告のように、「畏怖」(理想の社会主義国)から「蔑視」(日本の経済的成功を見習うべき後発国)へと振れつつあるのかも知れません。